システムプロンプトに「黒澤明」と書いた日
画像生成のシステムプロンプトに映画監督の撮影手法を取り入れたら、生成される画の質が大きく変わりました。GDGのワークショップで見たドラえもんのデモから、NotebookLMでの根拠づけ、適用前と適用後の実物画像まで。プロンプトの手法と、4ヶ月後の視聴データでの答え合わせから気づいたことをまとめました。
YouTubeチャンネル「歴史の雨音」の映像はAIで生成しています(全体像は「AIエージェントに、動画チャンネルの運用を丸ごと任せてみた」)。今日は、その画作りを一段引き上げた発見の話をします。私はこれを、このチャンネルの一番の企業秘密だと思っているのですが、手法そのものは共有する価値があると考え直しました。プロンプトの全文は伏せますが、アプローチは十分に追体験できる内容になっています。
ドラえもんのデモから始まった
チャンネルを始めて数本、動画を手探りで作っていた頃、GDG Tokyoが開催したGoogle AI Studio / Geminiのワークショップに参加しました。講師の方が後半の息抜きに見せてくれたのが、Geminiのシステムプロンプトにドラえもんのキャラクター付けをするデモでした。チャットの返答がドラえもんの喋り方になり、会場は和やかな笑いに包まれました。私も笑いながら見ていましたが、頭の中では別の閃きが走っていました。
「黒澤明」という3文字が、頭の中に浮かんできたのです。
キャラクター付けで変わるのが「喋り方」なら、画像生成のシステムプロンプトに監督の人格を与えたら、変わるのは「画の作り方」ではないのか、と考えました。
NotebookLMで根拠を集めてプロンプトを作る
思いつきをそのまま「黒澤明風で」と書くだけでも変化はあるかもしれませんが、私が試したのは、まずNotebookLMで黒澤明の撮影手法に関する資料を集めて根拠を持たせ(グラウンディング)、その根拠の上でシステムプロンプトを生成させることでした。構図の作り方、天候の使い方、光と影のコントラストといった具体的な手法を言語化して、プロンプトに落とし込むようにしました。「黒澤風」という単語を置くだけではなく、監督の撮影手法を言葉にして渡すわけです。
実を言うと、この「NotebookLMでグラウンディングしてからプロンプトを作る」という工程は、チャンネル初期の制作フロー全体の背骨でもありました。歴史的な情報をNotebookLMに集め、そこで画像生成プロンプトを作り、Nano Banana Proで画像を生成し、動画生成プロンプトもまた同じNotebookに戻って作る。プロンプトはゼロから自分で書くより、集めた根拠の上で生成させたほうが良いものになります。この一手間はどの生成AIワークフローでも有効だと感じます。
江戸の妓楼の夜
ワークショップに行く前に、江戸の妓楼の夜のシーンを普通のプロンプトで生成してありました。帰宅してから、同じシーンに「黒澤」プロンプトを入れて生成し直してみました。
出てきたのは、思わず息を呑むような一枚でした。誇張ではなく、光の落ち方、影の深さ、画面の緊張感が、それまでの「綺麗なAI画像」とは明らかに別の次元のものになっていたのです。
その2枚を並べてみます。

適用前です。整っていて、破綻がなくて、提灯が行儀よく並んでいる。これはこれで「綺麗なAI画像」ではあるのです。

そして適用後。同じ「江戸の妓楼の夜の雨」なのに、通りは泥濘んで光を鈍く照り返し、雨脚は太く、誰かが置き去った蛇の目傘が路上に沈んでいる。視点は縁側の陰から斜めに覗き込む非対称なものになり、均質だった明かりは滲んで、画面の大半を暗がりが支配する。黒澤監督が撮り直してくれたかのような一枚でした。
監督が制作パラメータになった日
この発見はその後、パイプラインの正式なパラメータになりました。シーンを記述する6つのパラメータの最後のひとつが director です。
scene_id edo_nagaya
era 江戸
place 長屋
…
director kinoshita
監督は2人設定しました。強いコントラストやドラマ性、天候の激しさを表現する「kurosawa」と、映画監督の木下惠介から取った、より柔らかく叙情的で美しい画を作る「kinoshita」です。シーンの雰囲気に合わせてどちらかを選びます。
システムプロンプトへの人格の注入は、単なる面白い小技にとどまらず、制作ラインの切り替えスイッチとして機能するようになりました。そしてこのスイッチが、4ヶ月後に思いがけない発見をもたらしてくれました。
4ヶ月後の視聴データでの答え合わせ
チャンネルに動画が溜まり、視聴データで監督別の成績を比較できるようになった8月、分かったことが2つありました。
一つ目は、平均するとkinoshitaがkurosawaを上回るということです。ただしkurosawaは、ときどき傑作を出してくれます。そのためどちらか一方に寄せるのではなく、いまはおよそ2:1でkinoshitaに比重を置いて制作を続けています。4月に足した様式を切り替えるスイッチが、8月には視聴者の好みを反映するための仕組みになっていました。
二つ目は、こちらの方が重要で、業界の直感に反するかもしれない事実でした。
視聴者はリアルさより、美しさを好む、
ということでした。
生成動画を作っていると品質の指標としてリアリズムを追いかけがちです。しかし歴史の雨音が扱う、架空の作業用・睡眠用のアンビエント映像において、リアルさは最重要の製品価値ではないのかもしれないと気づきました。
視聴者が求めていたのは、正確な江戸ではなく、美しい江戸でした。「歴史的に正しく、かつ観ていて美しい」の重心を、より「美しい」側に寄せるようにデータが示していました。
黒澤プロンプトを試して一番大きかった気づきは、ここにあります。監督名の注入が効いたのは、魔法の単語だからではなく、「良い画とは何か」という定義そのものをプロンプトに持ち込んだからでした。リアルさは仕様に書けますが、美しさは書けません。書けないものをプロンプトに渡す方法が、アーティストの人格だったという発見でした。
この記事で共有した、根拠を集めてから、定義できない品質を人格として注入するという考え方は、画像生成に限らず使えます。「全自動化のなかに、人間の手仕事を置く」に書いた、27個の雨音に先に人間の判断を振っておく話も、近い発想から生まれた工夫でした。
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