歴史の情景に、ただ雨を降らせる
幼いころ祖父から聞いた、夕暮れの川沿いに現れる狐火の話がありました。生成AIで動画が作れるようになったとき、その風景を映像に残してみたいと思いましたが、物語を描くのは私の手に余るものでした。人物も物語も排し、行き着いたのが「歴史の情景に、ただ雨を降らせる」ことでした。
幼いころ、祖父から聞いた話があります。夕暮れどき、川沿いの竹藪の近くに不思議な火の玉が現れる。大人になってから民俗学の本で知ったのですが、それは狐火と呼ばれていたもので、日本のあちこちに同じような伝承が残っているということでした。祖父は大正生まれで、その話も怪談というより、当時の日本ではふつうに起きることのひとつとして語ってくれていました。
祖父が見ていた風景、火の玉がいた夕暮れの川辺の竹藪や、その手前にあったはずの土の道、田んぼは、今ではもうほとんど残っていません。そうした失われつつある昔の日本の風景を、何らかの形で映像に残してみたいという思いがずっとどこかにありました。
狐火は手に余った
生成AIで動画が作れるようになったとき、最初に頭に浮かんだのは、祖父の昔話を映像で再現することでした。
ただ、川辺の竹藪に火の玉を浮かべるだけなら、今の雨音の情景とそれほど難しさは変わらなかったかもしれません。ですが、1本の動画で終わらせるのではなく、チャンネルとして続けていくなら、祖父から聞いた「村の人が狸にばかされた話」や、各地に残る狐の嫁入りのような伝承を、シリーズとして作っていきたいと考えたのです。
しかし、物語を作ろうとすると一気にハードルが上がります。狸や狐といった動物、登場人物、台詞や言い回し、物語の間合いやカメラの視点。試しにChatGPTでキツネのキャラクターを生成してみたところ、ビックリマンシールに出てくるようなコミカルなキャラクターが出てきました。「この道のりは思った以上に長そうだな、、」と感じたのを覚えています(残念ながらその画像は残っていませんが)。
もっとシンプルで、自分にも作れる映像はないか。人物がいなくてもいい。物語がなくてもいい。それでも、その時代の空気が立ち上がるもの、、
そうして行き着いたのが、歴史の情景に、ただ雨を降らせることでした。
風景を音にする雨
雨は、今も昔も同じように降っています。江戸の長屋の軒を叩く雨と、平安の寺院の庭に降る雨と、明治の駅舎の屋根を濡らす雨は、同じ雨ですが、聞こえる音はまったく違っていたはずです。
瓦なのか、茅葺きなのか、石畳なのか、土なのか。雨の音は、その時代にそこにあった建物の素材や地面の質感を、音として伝えてくれます。
昔の人々が聞いていたであろう雨の音を重ねることで、歴史の資料集や写真からは伝わってこない、当時の静けさや空気感に触れられるのではないか。そういう、どこか懐かしくて見たことのない景色を自分自身が見てみたかったのです。
こうして「歴史の雨音」というチャンネルが生まれました。江戸の長屋で、平安の寺で、明治の駅舎で、ただ静かに雨が降っている。それだけの動画を公開しています。
何もしないというルール
チャンネルを作るとき、いくつかのルールを決めました。ナレーションを入れない。テロップを焼き込まない。視点を固定して、変化の少ない映像にする。そして、映像はAIで生成したイメージであることを明記すること。
YouTubeには無数の雨音動画がありますが、他と比べることはせず、「歴史的な日本の風景 × 雨音」という組み合わせだけに絞りました。余計な物語や演出を足さず、ただ静かに雨が降る様子を眺めてもらう設計です。
祖父の思い出から始まったもの
このチャンネルの制作は、いまはAIエージェントがほぼ全自動で回しています。一晩でAPIクレジットが溶けたトラブルや、ローカルLLMとの格闘といったエンジニアリングの試行錯誤は、別の記事に詳しく書きました。
ただ、このプロジェクトの原点は、技術の実験ではなく、幼い頃に祖父から聞いた狐火の話でした。夕暮れの土手や竹藪に囲まれて、昔の人たちがどんな音を聞きながら暮らしていたのか。その素朴な好奇心が、今の動画作りの根底にあります。