Tokyo to Saigon ― 路地裏の街と、忘れられない人たち

会社をつくるためにサイゴンへ通った日々。書類の山の記憶ではなく、私の胸に残ったのは、路地の一本一本にいた人たちだった。ウイスキーを勧めてくるホテルのおじさん、二十五年続くバス、哲学を持ったバーの大将、そしてヘクターの結婚式。サイゴンという街の温度についての話。

Tokyo to Saigon ― 路地裏の街と、忘れられない人たち

2023年、私はホーチミン市——今も多くの人がサイゴンと呼ぶこの街に、Goldrush Studio という小さな会社をつくった。友人でありCTOのヘクターと始めた会社だ。

法人登記、投資ライセンス、事業ライセンス、銀行口座。立ち上げの日々は、何百という手続きと書類の連続だった。けれど今、目を閉じて思い出すのは、そうした書類のことではない。この街の路地と、そこで出会った人たちのことだ。

ホーチミンの人たちは、意識しなくても笑顔になれる。

オフィスのドアを開けるたび、いつもの面々の笑顔に救われた。

ウイッキーおじさん

オフィスの真向かいに伸びる細い路地——ベトナムでは HEM と呼ぶ——の突き当りに、少し古めのホテルがあった。骨董品や古い家具が並ぶ受付が昔のベトナムらしくて気に入り、出張のたびにそこに泊まるようになった。

チェックインの手続きをしていると、オーナーがジャックダニエルをショットグラスに注ぎ、「まぁ、一杯どうぞ」と差し出してきた。ウェルカムドリンクかと思っていたら、これは毎晩のお約束だった。翌日から、私を見るたびにオーナーは奥から満面の笑みで出てきて、「あー!、ウイッキー!?」とウイスキーを勧めてくる。

英語を話さないウイッキーおじさんの語彙は、「あー!」「ウイッキー」、「ガハハハ」という豪快な笑い声、そして拳を握った「いいね!」の四つだけ。それでも夜ごと、私は三杯のショットを空けさせられた。よく見ると瓶の液体が昨日より増えている。どうやらジャックダニエルの瓶に、別のウイスキーを注ぎ足しているらしい。

しばらくして再び泊まったとき、玄関にはウイッキーおじさんそっくりの背の高い若者がいて、完璧な発音の英語でチェックインを進めてくれた。受付の一番目立つところには、アメリカの大学院の修了証書が額に入れて飾られている。ウイッキーおじさんは、息子をアメリカの大学院まで行かせた、太い実家のお父さんだったのだ。あの豪快な笑い声の奥に、そんな物語があった。 alt text

二十五年前のバス

サイゴンの朝は早い。六時には通りが騒がしくなる。時差ボケで早く目覚めた私は、よく朝の散歩に出た。

あるホテルの前で、ツアーの迎えのバンに西洋人が乗り込んでいた。車体には “Kim Travel” とある。——Kim Travel。古い記憶が呼び起こされた。

私は二十五年前、十八歳のとき、バックパックを背負って一人でこのサイゴンにやってきた。あのとき「Kim Travel が一番信用できる」と他のバックパッカーに聞いて、このバスに乗ったことがある。今もあるのか、と胸が熱くなった。

後日、お世話になっているホテルのディレクター、Vさんにその話をすると、思わぬ返事が返ってきた。「Kim Travel、値段は高いけどガイドがみんなベテランで評判がいいですよ。でもコロナで大変だったみたいで、社長も今はガイドをやってます」。社長は四十代。私が使った頃の社長は、そのお父さんだという。「コロナのあとは、社長さん、自分でこのエリアのホテルを全部回って挨拶してました」。

父から子へ。二十五年、同じスピリットで続いている。私が初めてサイゴンに来た一九九八年と、会社をつくった二〇二三年が、路上のバン一台で不意につながった。独立して商売を続ける難しさを知った今、永く続くビジネスには尊敬の念しか湧いてこない。

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癒やしのバー

銀行口座の開設という最難関がようやく片付いた夕方、私は一人、行ったことのない通りを歩いていた。ふと左手の小さな路地に、CRAFT BEER の看板を見つけた。

路地を入ると、ひっそりとした店で三人ほどのおじさんが飲んでいた。ずっしり重いメニューを開くと、見たこともないビールが並んでいる。頼んだ IPA はベトナム製の地ビールで、驚くほど美味かった。フライドポテトには、塩かと思ったら砂糖とバターが添えられていて、これが意外と合う。

メガネの男がビール片手に近づいてきた。客かと思ったらオーナーだった。乾杯を交わすと、唐突に「豚の内臓を食べないか」と言う。「今朝仕入れたんだ。新鮮なものが手に入った時だけ出すんだよ」。満面の笑みの前で断れず、恐る恐る口にすると、どれも美味しい。グラスが空くと女将さんとオーナーが代わる代わる注ぎにきて、一緒に乾杯する。学生の頃に通った昭和の飲み屋と同じスタイルが、ここサイゴンにもあった。

滞在の用事をすべて果たした金曜の夜、私はまたあの路地に向かった。店にたどり着くと知っている顔がいない。心配していると、しばらくして大将が帰ってきた。向こうも覚えていて、「しばらく来なかったね」と笑顔で近づいてくる。

大将は、もとはツアーガイドだったという。ベトナム各地を回りながら郷土料理を覚え、それを今この店で出しているのだと。「この裏路地に店をつくったのは、ここまで入ればバイクの音もクラクションも聞こえないからさ。仕事終わりに、みんながゆっくり酒を飲んでリラックスできる場所をつくりたかったんだ」。初めて入った瞬間に「当たりだ」と感じたのは、この人の哲学が店の隅々に宿っていたからかもしれない。 alt text

五年ぶりのカフェ

滞在の最終日、私は五年前にデザイナーのCさんが連れて行ってくれたカフェを再訪した。ずっとまた行きたいと思いながら、時間がとれずにいた場所だ。

一区の薄暗い建物の入り口を抜け、螺旋階段を一番上まで上がると、心地よい音楽が聞こえてくる。扉を開けると、天井の高い開放的な空間が広がっていた。天井の低い日本の建築では、こういう場所はつくれないだろう。レトロで、でもモダンで、東京にはない佇まいのままそこにあってくれて、ほっとした。

コーヒーは豆を選び、抽出方法を四つから選ぶ。ペーパードリップ、フレンチプレス、サイフォン、そして Aero Brew。正体のわからない Aero Brew を選び、豆はベトナムのものにした。美しいカラフェで運ばれてきたアイスコーヒーは、コクは控えめだが、香ばしさが鼻に抜ける。

冷房は控えめ、音楽も小さめ、何時間でもいられる。ちょうどいいところで、ちょうどいいおしゃれさとエレガンスを演出してくる。それがサイゴン流だ。怒涛の一週間のあとに、私は読みかけの本を開いて、ゆっくりと午後を過ごした。

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サイゴンの結婚式

ヘクターが結婚することになり、私はその式に出るためにサイゴンへ飛んだ。(一応)上司の立場だが、邪魔にならないかを確かめて参列させてもらった。

式の朝、まだ暗い五時半に、私は第七区のヘクターの自宅に集合した。テーブルの上は、花嫁の家に届ける貢物で埋まっている。ベトナムの伝統では、結婚式の朝、花婿の独身の友人たちが、花嫁の家まで貢物を担いで運ぶのだという。今回はレギュレーションが緩められ、既婚の私もその役を仰せつかった。抱えた木の大皿にはウイスキーなどの酒が積まれ、思ったより重かった。

私は三十年以上前、メコンデルタの村でこの儀式を一度だけ見たことがある。水路に小さな橋がかかる村を、男たちが供物を高く積んで一列に歩いていく光景は、物語の世界のようだった。それに自分が加わる日が来るとは。

号令とともに、六人の男が貢物を抱えて一列で路地に入っていく。カラフルな低い民家に囲まれた細い路地の先に、アオザイ姿の若い女性たちが横一列に並んで待っていた。赤いアオザイの花嫁は、本当に綺麗だった。バイクが通るたびに儀式は中断し、また並び直す。厳かというより、少しの喧騒の中で進むのが、いかにもサイゴンだった。

昼食会では、ココナッツウォーターで茹でた大きなテナガエビが出た。濃厚なエビ味噌に、ココナッツのクリーミーさがほのかに加わる。結婚式は、その国の文化と、家族と、人のつながりを、まるごと体感させてくれる。早朝から始まった長い一日は、一生忘れないだろう。 alt text

サイゴンの温度

書類の山と、資金繰りの不安と、思うようにいかない日々。それでもこの街に通うのが楽しみだったのは、路地の一本一本に、こうした人たちがいたからだ。サイゴンは、私にビジネスの場所を与えてくれただけではない。人と出会うことの豊かさを、もう一度思い出させてくれた街だ。

またすぐに、あの路地に戻りたい。

#ベトナム#サイゴン#カルチャー